はじめまして!ひろです!
僕のホームページにお越しいただき、ありがとうございます!
僕は30代後半まで、特別な資格もなく…
パソコンスキルも、並以下の普通のサラリーマンでした。
僕は最初から、Webマーケターになろうと思って行動したのではなく…
僕はある決断をきっかけに…
強制的にビジネスを学ばないといけない状況になった先に…
Webマーケターという道がありました。
僕の目標は、Webマーケターとして…
一年目に月収30万円、二年目に月収50万円、三年目に月収100万円稼ぐことです。
これは僕が漠然と決めた数字ではなく…
経験者たちのアドバイスのもと、学習の年間計画をたて…
一つ一つスキルを身につけることで…
実現可能な達成目標であると判断したため、このような目標にしました。
ではパソコンスキルも並以下だった僕がなぜ、Webマーケターを目指すことになったのか?
簡単な自己紹介と合わせてお伝えします。
基本情報
名前:ひろ
性別:男性
生年月日:1980年4月13日
前職:自動車学校教官
出身:札幌→現在東京
好きな食べ物:スープカレー、わらび餅、チャーハン
性格:暗記が苦手、飲み物をこぼしやすい、楽しみな事があると前日寝れない
人生のバイブル:スラムダンク
幼少期〜中学時代:生まれ育った環境
僕は、北海道の札幌市で産まれました。
家庭環境は、外から見ると、ごく普通の家族に見えますが複雑で…
とても短気な父、真面目で優しい母。
とても短気な兄、5つ離れた妹の5人家族。
どこに地雷があるかわからない、短気な父と兄に悩まされてました。
どこに地雷があるかわからない父ですが…
さらに幼少期の僕にとって、父を怒らせる原因となったのが…
父は勉強ができるタイプで…
父の学生時代の趣味は『勉強』と言い放つほど…
学校から帰ってきたら、勉強するのが当たり前の日課だったようです。
これが僕の生活に、どのように影響したかと言いますと…
もちろん毎日勉強するように、キツく言われてました。
勉強で一番嫌だったのが、家族旅行に行った際に…
車の中で、延々と目的地に着くまで、数学の九九(くく)を言わされるという旅行でした(笑)
僕は家族旅行に良い思い出がなく…
今でも、父親とテレビを見て、昔旅行行った場所が写ると…
「おまえが、小学校時代ここにいったな。」と言われますが…
ほとんど記憶がありません(笑)
こうして勉強させたい父の気持ちとは裏腹に、僕は勉強が大嫌いになっていきました。
今考えれば、僕の将来が心配だったからというのは、少しは理解できるのですが…
当時の僕としては、めちゃくちゃ嫌でした。
まぁ…今考えても、めちゃくちゃ嫌ですけど(笑)
このように、どこに地雷があるかわからない父と兄…
旅行の時でも、勉強しろという父…
こんな状況なので、ふざけたり、楽しい日常会話をすることは許されず…
家にいる僕は、感情をださずに、できるだけ静かに生活をしてました。
さらに産まれながらに、髪がめちゃくちゃ茶髪で…
当時は、ヤンキーしか茶髪がいなかったため…
先輩からは『お前生意気だな』と目をつけられていました。
家庭環境、産まれながらの他の人との違いから…
人の目を気にして、自尊心のない子に育っていきました。
ただ幸い友達には、恵まれていたため…
学校での、明るい自分しか知らない友達からは…
「おまえは、本当に悩み無さそうだな」と言われるくらい、はしゃいでました。
このようにして、表面上は、明るそうに見えますが…
内心は、自信のない少年が、完成してました(笑)
高校時代:家庭環境悪化。さらに家で感情を消す日々
高校生になり、家庭環境がさらに悪化していきます。
きっかけは、兄が高校を中退し、引きこもりになったことでした。
以前に増して、些細な事で、僕にイライラするようになり…
僕の親との会話の声…
階段を上がる足音にも、イライラされ…
酷い時は、真冬の北海道で、包丁を持って追い回されたこともありました。
このことがきっかけで…
僕の部屋には鍵がついていたり…
食事中に、親との会話もできなくなり…
家では、さらに自分の存在を消す『無』の存在になりました。
僕は家にいると、本当の自分を表現できなくなるので…
学校終わりは、友達の家に、毎日のように遊びにいきました。
毎日友達の家に行く、生活なので友達から…
「そういえば、ひろ(僕)の家に行ったことなくない?」と言われることもありました。
その時の僕には、家庭環境を、友達に言えるはずもありませんでした。
家に友達を連れてきて騒いだら、兄が大爆発するかもしれない…
できるだけ、僕の家に友達を呼ばないようにしてましたが、さすがに限界がありました。
その後、誤魔化しがきかず、数回友達を家に連れてきたことがあります。
兄の大爆発という最悪の状況は避けられたのですが…
僕の家に来た友達に、決まって言われるのは…
『おまえ、学校と家だとキャラ違わない?』とよく言われてました。
そりゃそうですよね…
学校では、友達が多くワイワイ話す『陽』の存在…
家では『無』の存在という、かなり精神が壊れた日々を送ってました。
僕はこの時に、自分の苦手なことに一つ気づいてました…
僕は幼少時代から、何も悪いことをしてないのに、父と兄の罵声浴びせられる…
茶髪が原因で、何も悪いことをしてないのに、先輩に絡まれる…
このことが原因で年上の男性が怖い、苦手という認識を強く持ってしまったのです。
この事を、心理学用語で投影(とうえい)と言います。
【投影(とうえい)とは】
自分が苦手としているタイプの人を、違う人であっても似ている共通点があれば、苦手と感じてしまう事。
例、性別、年齢、話し方、見た目など
大学時代:このままじゃダメだ。自分を変える挑戦をする
1:大学三年生の決意
大学生にもなると、兄と別々の生活になり、家族も少しの平和が訪れます。
ただ僕の自信のなさ、年上への苦手感は、払拭できずにいました。
大学3年生にもなると、就職を視野に入れないといけないので、僕のトラウマが頭の中によぎります…
「僕は社会にでたら、年上の大人ばっかりだから、なじめないんじゃないかな…」
という不安がありました。
僕には、高校時代の部活の先輩で、唯一なんでも相談できる2つ上の社会人の先輩がいました。
普段は一緒にいても、笑話しかしないのですが、僕の悩みを打ち明けたところ…
「先輩:学生時代にしかできないことやった方がいいよ」
「先輩:友達と、札幌から函館まで自転車旅は、人生観変わったよ」
「先輩:旅に行ってみたら?」と言われました。
僕自身、何をやったらトラウマを脱却できるかわからずにいたので、仲の良い先輩が言うのなら、やってみようと思い、旅にでる決意をします。
そこで僕は、自分の弱い部分の3つの課題を設定。
【3つの課題設定】
1.自信がないなら、自分一人で何かを達成し、自信をつけよう!
2.たくさんの大人とコミュニケーションをとり、苦手を克服しよう!
3.誰もやったことないことを挑戦しよう!
どうせやるなら、学生時代にしかできないこと…
僕がみたことない世界を体験してみたい…
そんな僕がとった行動が、大学3年生の夏休みに…
ママチャリ縦断旅(京都〜札幌)を決意しました。
僕はこんな挑戦を…(笑)
そこは3つの条件があり…
【旅の3つの条件】
1.友達と行くと、自分で問題解決しなくなるので、一人でやること
2.出会った人とは、自分から積極的に声をかける
3.ギアの切り替えのない、ママチャリでやること
この挑戦を先輩に伝えたところ…
「先輩:えっ、本州!?」
「先輩:えっ、一人!?」
「先輩:えっ、ママチャリ!?」
と言われました。まぁ…そうなりますよね(笑)
2:大学三年生夏休み
いよいよ夏休みになり、僕の挑戦が始まりました。
出発時には、先輩が会社を休んで、見送りにきてくれました…本当にいい先輩です。
今の便利な社会とは違い…
【当時の旅の条件】
・ガラケーの時代だったので、道順は地図帳で検索。
・24時間営業の店がなかったので、全て野宿。
・学生だったので、お金がなく1日に使えるのは、1000円程度。
僕はママチャリに旗を立て、『ママチャリ一人旅!京都〜札幌』と記入しました。
無謀とも思える挑戦でしたが、たくさんの大人の優しさに触れます…
車に乗った家族連れが、わざわざ停車してくれて、ジュースの差し入れ…
立ち寄った道の駅で休憩中、出会った人から、お菓子の差し入れと何気ない会話…
僕のママチャリがパンクしたら、近くの修理屋まで車で、ママチャリ乗っけてくれたり…
たまたま立ち寄った海の家で休憩中…
お店は優しそうなおじいちゃん、おばあちゃんが経営してました。
優しそうな雰囲気から会話も弾み、僕の旅を伝えたところ…
「今日はお客さん少ないから、お兄ちゃんのために店閉めるから…」
「ゆっくり休みなさい」
といって店を閉めて、睡眠させてもらいました。
僕は何時間寝たのかなと思うほど、爆睡してしまいました。
時間を確認したら、夕方をすぎてました。
野宿しかしてなかった僕にとって、久々の安全で、安心できる睡眠でした。
「もう今日は遅いから、旅は明日からにして、うちに泊まりなさい」と言ってくださり…
晩御飯もご馳走になり、宿泊もさせてもらいました。
ずっとコンビニ飯しか食べたなかった僕にとって、久々の手料理でした。
僕は涙がでました…
「まじ美味いっす…」って泣きながら食べた…
ナスの味噌汁の味は一生忘れません。
旅でお世話になった方とは、必ず写真を撮り…
僕のママチャリ旅の旗には、サインをしてもらいました。
そして、旅が無事に終了した際に、必ず手紙を書くと約束。
今でも、辛い時があると、この時の写真をみて奮起するようにしてます。
ママチャリ旅は、毎日多い時は100キロ以上漕ぎ…
肉体的にも、精神的にも、強くなり約1ヶ月間の旅を終えました。
もちろん旅が終了したので、お世話になった方には、手紙を送信…
僕はこの旅で、人の優しさ、自分で達成できるんだという自信を持ちました。
そして本当に、基本的なことではありますが、日々のありがたみも学びました。
【日々のありがたみ】
蛇口をひねれば水が出ること…
ふかふかな布団で寝れること…
友達と会話ができること。
僕の中の、喜びの沸点が下がった経験でした。
社会人:就職活動を経て、自動車学校教官になる
ママチャリ旅で『積極的に自分から話しかける』、『困難を自分で解決していく』という経験が僕を一回り大きくさせたと思います。
今までのトラウマがあまり気にならなくなり、少なくとも、人の目が気にならずに、自分の発言ができるようになりました。
その後、就職活動にも自信をもちます。
僕は育った環境もあり、人の気持ちに敏感なこと…
学生時代でアルバイトリーダーを経験し、後輩の教育が好きというのは理解してました。
その経験を活かし、就職先は、人に教える仕事をしようと思いました。
でも人生経験の少ない僕にとって職種なんてわからず、沢山の就職先を見ますが…
『営業職』…「う〜ん、違う…」
『事務職』…「う〜ん、違う…」
『工場勤務』…「う〜ん、違う…」
そんな感じで、無駄にこだわりが強く、就職したい明確な職種が決まらず…
アルバイトをしながら、友達と飲み会をくりかしてると、あっという間に月日は過ぎ…
大学の卒業式になり、仲間は就職、僕は就職浪人になりました。
大学卒業後も…
『無駄にこだわりが強く、就職したい明確な職種が決まらない』というのは変わらんかったのですが…
さすがに、3ヶ月くらいすると、アルバイト生活をしだらだら過ごす僕にも…
周りの同級生が就職してるのを見ると焦りがあり…
毎日、ハローワークに行くようになりました。
2週間ほど通った頃に…
自動車学校教官というのを発見し…
「おっ!天職っ!これも人に教える仕事だ」と思いすぐに応募しました!
不思議と面接にいった自動車学校で…
「僕は、ここで働くかも」という直感がありました。
面接も不思議と、自己PRができ、ママチャリの話しかしなかったのですが…
面接官の評価は上々で、僕は面接に合格し…
22歳で自動車学校教官になりました。
22歳自動車学校教官は、めちゃくちゃ若いですよね。
かなり年上の人を教えることもあり、気を使うことも多かったのですが…
ほとんどの生徒とは、年齢がほとんど同じくらいで…
先輩が後輩に運転を教える感じで、楽しく仕事をやってました。
自動車学校の仕事を5,6年経過した頃には、一通り仕事ができるようになりました。
今より相手を理解した教習ができるように、スキルアップがしたいと思い…
仕事が終わった後に、オンラインで2年ほど学び…
心理カウンセラーの資格を取得しました。
この時の学びが、今後の生徒の理解と…
幼少期の自分の悩みを言語化することができるようになりました。
30歳過ぎた頃には…
会社から、それなりの評価を得ていて…
10人くらいのチームを、任されていたのですが…
給料が変化しないし…
慣れた仕事をずっとやるのもな…
僕なりに、仕事への物足りなさを感じてました。
この頃から、他の世界も見たいということで…
異業種交流会、ビジネスセミナーに行くようになりました。
会社以外の人間は、僕なんて知ってる人なんかいなく…
会社以外の世界は、広いと感じてました。
ただ今考えても…
インプットが多く、アウトプットがない生活のまま…
大きく変わらず38歳になりました。
人生の分岐点:東京進出!?
「もう38歳だし、そろそろ決断しないと、一生この会社にいることになる」
仕事は好きではありましたが、熱意が薄れてるのはわかってました。
僕の人生経験の中で、一番好きなことを考えました。
すぐに答えはでました…『心理学』
僕は資格はあるのですが、座学で取得しただけで、実践経験がありませんでした。
自分で独立して稼ぐだけのスキルも、集客するスキルもありません。
色々検索したのですが、当時札幌に住んでいた僕にとって…
実践的に、心理学を教えてくれるところはありませんでした。
沢山調べたところ…
東京で一番歴史の古い、実践型で、心理学を学べるところを発見!
僕は、翌月に開催される体験会に、すぐに申し込みました。
こういうとこの行動だけは、昔から早いです(笑)
よくよく考えてみたら、プライベートで、飛行機に乗ったこともなく…
飛行機に乗るという行為だけで、優越感を感じてました。
東京は、僕にとってとてもキラキラしてました。
テレビではよく見てた東京は、日本ではあるけど日本じゃないような街。
東京のファッション、働き方、外国人の多さ全てが自由で、海外に来た感じでした。
講座を受講してみて…
やっぱり心理学好きだなと言うのを、再確認できました。
ただ心理学の学校に通うのには、いくつか問題点がありました。
一番の問題点は、最低でも3年間学校に通うということでした。
まぁ、簡単に言うと、移住しないといけないということですね。
僕は心理学の講座を受けてから、宿泊したゲストハウスに戻る途中…
「移住は難しいけどどうしようかな」と、ず〜と考えてました。
【僕の思考】
・札幌にいても変わらない…
・今の会社にはずっとはいない…
・自分の本当にやりたいことってなんだろう…
ゲストハウスに戻り、翌日札幌に帰るための退去する準備をしてた時も…
ず〜と、考えてました。
たまたま僕が、トイレに行こうと廊下にでたら…
ゲストハウスの支配人とすれ違いました。
僕は目が合った瞬間、間髪入れずに…
僕:「来年から東京に来るので、働かせてください」
と言ってしまいました。
言ったというより、言ってしまったという感覚です。
なぜあの時に、あんなに勇気がでたのか、今でも謎です。
きっと僕の中で、自分を変えたいという気持ちが…
ずっとモヤモヤしていたのでしょう。
支配人の返事は意外にも…
支配人:即答で「いいよ」とのことでした。
そして、支配人から出た言葉が即答なんで…
『えっ!?いいのっ!?』って、僕の方がびっくりしました。
なぜこんなに、困惑してたかと言うとこれは…
2018年6月の出来事で…
2018年9月に、当時お付き合いしていた彼女と結婚しました(笑)
東京から帰りの飛行機の中で…
彼女に怒られるんじゃないかとドキドキでした…
札幌に戻り、結婚が決まっていた彼女に…
僕:「来年から東京に住むことになりました」
と事後報告したところ、これも意外に即答で…
妻:「楽しそうじゃん!オッケー!」
とのことでした(笑)
『えっ!?いいのっ!?』って、またもや僕の方がびっくりしました。
こうして年末に、仕事を辞め…
翌年僕と妻の東京ライフが、始まります。
新天地:東京ライフ
東京での生活は、札幌と違い本当に新鮮でした。
「コンビニ店員に、外国人多いっ!」
「えっ、どの電車乗ったらいいの?(笑)」
「やばっ!週末はサラリーマンが駅で本当に寝てるっ!(笑)」
最初はこんな感じです(笑)
東京移住後の僕のスケジュールは…
心理学の学校が土日中心だったため、ゆっくり3年通い…
ゲストハウスで働きつつ、慣れたら他の仕事でもしようかな程度に考えてました。
東京生活に少し慣れてきた頃に…
心理学学校の休みが続いたのと、ゲストハウスの休みの融通が聞いたので…
僕がずっと気になっていたことを、決行することにしました。
それは札幌で異業種交流会に行って、名刺を作成した時に…
名刺に『ママチャリで日本一周した男』と記入してたことでした(笑)
「僕は、日本一周してないじゃん(笑)」
「僕は、京都から札幌行っただけじゃん(笑)」
このタイミングで、ママチャリ旅の続きをやる事を決意っ!!
なんて、単純なんでしょう(笑)
僕を大きく変えてくれた、人生経験だったので、今経験するとまた何か得られるものがあるかも、という思いもありました。
・今回の目標は、山口県から東京に設定。
合計すると、山口県から札幌までいったことになるので…
ママチャリで、日本縦断したということは言えるかなと(笑)
前回ママチャリ旅を達成した時の、20年前とは状況が違います。
【今回の旅の条件】
・今回はGoogleマップがあるから、迷わない
・24時間営業の店があるので、休憩が楽でした
・以前達成したという経験値がある
今回旅で新しく挑戦したのが…
旅の思い出を、毎日Youtubeにアップしました。
Youtubeが、流行り始めたタイミングでもありました。
Youtubeを挑戦しようと思ったのが、旅出発の前日だったので…
動画編集方法、Youtubeへのアップ方法など全然わかりません(笑)
周りでYoutubeに詳しい人もいなかったので、聞ける人もいません。
毎日撮影する内容を考え、ママチャリを10時間ほど漕いだ後の編集なので、毎日睡魔との戦いでした。
編集中に寝てしまったり、編集してる途中でデータを消したしまったりで、一本の動制作にかかった時間は、10分の動画に、3時間編集(笑)
Youtubeに投稿している笑顔とは別に、動画編集で体力が削られてました。
ただ20年前より、インフラの環境が整っていたので、疲れた時は漫画喫茶に宿泊など旅をする辛いという感じはなく、3週間ほどで終わりました。
この旅で初めて挑戦した動画編集が、のちの僕の人生に大きく影響してきます。
もちろんこの時は、バズることなど一回もせずに、ただの旅記録になりました(笑)
絶望:上京してすぐに、目的を失くす
旅の達成後、東京での生活も少しずつ慣れ…
心理学の学校とゲストハウスの仕事も順調にこなしていました。
しかし旅の達成から4ヶ月後、世の中は大きく変わります…
コロナ感染症が広がり、ゲストハウスの従業員は、全員解雇。
僕の収入はゼロになりました。
そして心理学実践的に学びに東京にきたはずなのに…
コロナ感染症のため実践学習ができず、全てのカリキュラムがオンラインに切り替え。
「札幌でオンラインで、学んでたのと変わらないじゃん」
「僕は東京に何しにきたのだろう…」
長くても1ヶ月程度でコロナ感染症が終わるだろうと思っていましたが…
3ヶ月、6ヶ月経っても終わる兆しが見えず、むしろ悪化する状況。
僕は心理学を学ぶ意欲が、どんどん無くなっていくのが、わかりました。
このタイミングで、心理学を学ぶことを辞めてしまいます。
知らない土地に、妻を連れてきてしまった責任…
札幌にいたら今頃、家を買ってたのかな…
頼れる友達もいない…
今更、前の職場に戻れない…。
僕は大きな責任と重圧で、押しつぶされそうになりました。
ただできることは限られていて、考える時間は沢山ありました。
くよくよしたって仕方ない、妻を幸せにしなければっ!
今回のような、緊急事態が起きた時に…
場所も時間も、制限されない仕事を考えました。
そして僕は、やりたい仕事よりも…
どういう未来を、手に入れたいかを考えました。
・パソコン一台で…
・全世界どこでも、仕事ができる…
・海の見えるカフェで、クライアントと打ち合わせ…
よしっ!
以前動画編集やって決行好きだったし…
時間も沢山あるから、Youtube投稿やってみよう。
気合いを入れて、最初に投稿した動画は…
10分の動画に、7時間編集…
再生回数10回以下
1つ目のチャンネル…テーマもコンセプトも考えずに、とりあえず投稿してたので失敗。
2つ目のチャンネル…編集時間だけかかり、ブレブレのキャラ設定で失敗。
3つ目のチャンネル…ネタ切れを起こし、投稿するネタがなくなり失敗。
何度も、心が折れそうになりましたが…
コロナで、外出規制だったため、勉強の時間はありました。
4つ目のチャンネル…毎日ネタが尽きないニュースチャンネルにしよう、日本で放送されない海外のニュースにしよう、簡単に作れる可愛いアニメキャラにしよう…
今回はキャラ設定、コンセプト、ダーゲットを自分なりに考え込みました…
毎日の動画制作6時間、週6投稿…
1、2ヶ月は登録者、再生数大きな変化なし。
仕事もない、外出もできない、この頃の一筋の光は…
動画編集をやるしかありませんでした。
そしてついに3ヶ月目で、まさかの大バズりっ!!
更新ボタンを押すたびに、登録者は増え…
この日だけで、登録者が1000人になりました。
今までコツコツやったことが、目に見えて成果が出た瞬間です。
妻と大喜びしたのを覚えてます。
これまで僕が思っていたのは…
「SNSで大成功してる人は、ほんの一部だ…」
「サラリーマンの経験しかしたことのない僕が、バズれない」って思ってたのですが…
一瞬で、イメージが変わった瞬間でもありました。
・資格のない僕でも、影響力が持てる
・Webを理解すれば、パソコン一台で、どこでも働けるかもしれない
という実感した瞬間でした。
この時の僕は、Youtubeのアルゴリズムなんてあまり理解してるわけではなく…たまたまバズったというだけという感覚です。
ただSNS未経験だった僕にとって、『バズった』という経験がとても大きく、Youtubeに対する興味が、一気に加速していきます。
一筋の光:webマーケティングとの出会い
1:Youtube講座に通い失敗。損失70万円
その後僕は、心理学には興味がなくなり、Youtubeを学びたいという意識が強くなります。
Youtubeが普及してきたころだったので、どこかの講座に通い…
先に勉強して、ビシネスをやろうと思いました。
当時、Webの世界が全くわからない僕にとって…
どこに通ったらいいか、わかりませんでした。
Webで有名な企業わからない…Webで有名な人わからない。
そんな状態ではありましたが、検索を続け…
たまたまFecebook広告にでていた、Youtube講座に通うこととなります。
金額はなんと、4日間で70万円っ!
超高いですよね(笑)
無職だった僕には、かなりキツい金額だったのですが…
「高い金額だし、それなりに詳しく教えてくれるはずだ」
「本格的に学べはすぐに、支払うことは可能だ」と…
自分の成功した姿しか考えてなく、安易に考えてました。
結論から言うと…
中身はペラペラな講座で、
投資したお金を取り返すのは、不可能な内容でした(笑)
今となっては、笑い話なんですが…
集客する企業と、講師が別々の企業で…
内容が全然ちぐはぐ。
おまけに、契約書だけはしっかり書かされ…
講師からは、マウントを取られるという、最悪の講座でした(笑)
メインの講師からは…
「拍手とか、頷きが少ないと帰りますので、リアクション多めで」と言われてました。
受講生のリアクションが悪かった場面があったらしく…
実際に、メインの講師が機嫌を損ねて、サブの講師に切り替わるという場面もありました。
ちなみにこの講座は…
受講者約70名…
講座の目標『半年でYoutube登録者10万人』でしたが、
誰も達成されることなく終了。
高額の講座という期待値も高く…
無職で思い切ってだしたお金ということもあり、強烈に凹みました。
だた僕には、やりたいことをやりにきた東京進出だったので、サラリーマンに戻るという選択肢はなく…
『パソコン一台で働ける何か』を模索するしかありませんでした。
そして自分ではわからないので、どこかの講座に通うしかありませんでした。
前回の講座の失敗を活かし…
「高額だから、内容の濃いものを教えてくれるわけじゃない」
「色んな講座の、無料説明会を受けてみよう」という発想になりました。
これを繰り返したところ、なんとなく、見えてきたことがありました。
・講座の平均額は、60〜80万円程度
・アフターフォローしてくれるか?
・わからない内容につまずいた時の対応は?
一年間ほど分析すると、一番重要なことに気づきます…
【Web学習で重要なこと】
ほとんどの講座が、Webの一部分だけしか教えてくれない。
・自分の商品を作ることだけ学ぶ(商品開発)
・SNSだけ学ぶ(集客)
・メルマガ、公式ラインだけ学ぶ(販売)
一部分だけ学んでも、稼ぐことは難しいんですね。
①商品開発
↓
②集客
↓
③販売
Webで売り上げを上げていくには…
この一連の流れを、勉強する必要があることがわかりました!
以前僕が学んでいたYoutubeも、SNSを学ぶというジャンルだけ。
あのまま続けていても、きっとどこかでつまずいたでしょう。
この重要なことに、気づけたことが大きかったです。
2:Webマーケティングの先生との出会い
①商品開発、②集客、③販売というこの全体の流れを、教えてくれる先生はいないかと探していたところ…
Youtubeで、webマーケティングを教えてくれる先生を発見。
しかもオンラインサロンで、月額4000円程度…
「えっ、こんな安くていいの?」僕はすぐに申し込みました。
その先生の言葉で…
「ちゃんと探せば、そんなに高い金額ださなくても、教えてれくる人いるから」
という言葉をすごく覚えてます。
僕は一年間ほど他も講座を分析してたので、正しい事をいってるかの判断はつきました。
その先生はもともとWebマーケティングのプロであり、オンラインサロンとは別に、スクールを経営されていました。
僕はその先生の人柄、知識の豊富さ、サポートした人を成功させてあげたいというビジョンに惚れ込み…
さらに手厚く学びたいと思い、先生のスクールに通うことを決意!
僕はその先生と出会ったことで、ビジネスを段階的に学ぶことができ…
挫折することなく、スキルを収入に変えるビジョンができるようになりました。
これが僕が実際に、Webマーケティングの先生に出会い、学ぶきっかとなった理由です。
最後に
冒頭の話にもあったように、僕の目標は…
一年後に月収30万円、二年後に月収50万円、三年後に月収100万円稼ぐことです。
具体的なロードマップは、こちらに記入しておきます。
僕のここまでの行動は、遠回りでした。
『どちらかというと』というワードを使わずに、完全に遠回りだったと思います(笑)
僕のブログを見ていただいたみなさんには…
できるだけ遠回りをせずに、最短距離で目標達成してもらえるような、コンテンツにしていきたいと思います。
僕もWebの先生に出会い、人生変えてもらったように…
僕のブログを見てくれた人が、人生変えるきっかけになればいいなと思ってます。
僕もまだ目標達成の途中であり、学習の途中ではありますが…
「こんなに失敗してる人なら自分でもできるかも」くらいの気持ちで楽しみながら、見てくれたらいいなと思います。
最後まで、読んでいただきありがとうございました!